Sunday, 29 July 2007

本日は参議院議員通常選挙の投票日です

プロ野球ファンのみなさんは、18:00試合開始前に投票に行きましょう(^^;)。
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Monday, 09 April 2007

人間とは懲りないものである(或いは、同じ間違いを繰り返す)

ただの親馬鹿であることが判明した石原が勝ったことで、彼はこれまで以上にのさばり、これからも自分の息子に優先的に仕事を与え続けるであろう。合掌。
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Sunday, 29 October 2006

こちらが正論ですよ>『正論』

10/26付朝日新聞朝刊 「歴史と向き合う 第4部 『帝国』の記憶 5 − 『過去を学ばねば流される』 『東京裁判は時代の区切り』 衆院議長・河野洋平氏インタビュー」 ウェブ上再録

――ベトナムのズン首相を国会に迎えた19日のあいさつで、「先の大戦で、我が国の軍政下において(ベトナムに)多数の餓死者を出したことを忘れてはならない」と言及されました。歴史問題に踏み込んで発言されているのはなぜですか。
「戦争の記憶が風化していると感じるからです。私は国民学校の1、2年生のときに空襲を受け、防空壕に飛び込みました。戦争の恐ろしさを体で知る最後の世代です。戦争を体験した人たちは、あの戦争はやるべきではなかったとの意識が強かった。時が立ち、世代が代わると、それが薄れてきているから、心配しているのです」
――若い政治家の間では、日本の過去に誇りを持つべきだという意見が強いようです。
「世代の問題ではなく、事実に目をつぶり、『なかった』とうそを言うことは恥ずかしいことです。知らないのならば、学ばなければならない。知らずに、過去を美化する勇ましい言葉に流されてはいけません」
「先の大戦で、日本はアジアの人々に多大な苦しみを与えましたが、日本国民だけでも、民間人を含めて犠牲者は300万人を越えます。なぜ、これだけの人が亡くなったのか、うやむやにすべきではありません」
――6月の沖縄慰霊の日の追悼でも、開戦判断の誤りと戦争が沖縄に強いた犠牲の検証を呼びかけていましたね。
「沖縄戦では、日本側で20万人の人が亡くなり、半数は女性や子供を含む民間人です。本土決戦のために時間を稼げとの指示があったと言われています。もっと早く政府が終戦を決断できれば、死なずにすんだはずです。太平洋の島々で亡くなった兵隊は多くは餓死、病死です。後方支援も食糧確保の見通しもないまま派遣した軍の指導者に責任はないのでしょうか」
――戦争責任を取り上げたのは、連合国の極東国際軍事裁判(東京裁判)ですが、この裁判は、評価が割れています。
「難しい問題です。米国による非人道的な原爆の投下や、終戦直前に参戦したソ連の乱暴狼藉など、勝者の側の行動は裁かれていません。被告の選定では、政治的思惑も働きました」
「しかし、裁判によって、法廷での証言や証拠で、戦争に至る道のりが明らかになったことも忘れてはなりません。また、日本人の手で裁こうとしたならば、責任の押し付け合いで、もっとひどい裁判になった可能性も否定できません。何よりも、政府は、1951年に調印したサンフランシスコ平和条約で、あの裁判を認めているのです」
――異議を唱える立場にないというのが政府見解ですね。
「東京裁判を認めることで、日本は独立を回復、国際社会に復帰しました。経済大国になった今になって、前言を覆すことができますか。亡くなられた後藤田正晴・元法相は、『あれが戦後日本の原点だよ』とおっしゃっていた。国民も裁判をひとつの区切りとして、次の時代へと進んでいったのです。歴史の議論は自由にやるべきでしょうが、政治の判断は、そこをないがしろにはできないはずです」
――歴史をめぐっては、安部首相のように「歴史の評価は、歴史家に委ねるべきだ」という意見もあります。
「『歴史家に委ねる』というのは、本来はその通りだと思います。しかし、主流の歴史家の間でほぼ確立して、国際社会でも常識になっている問題で、『その通り』と率直に言わずに、『歴史家に委ねる』などと言うから、おかしくなる。本来の意味は、政治家が信念に基づいて行動し、批判を浴びた場合に、『いや、私は自分の行動が正しいと思う。後世の歴史家には理解されるだろう』ということでしょう。政治のトップが歴史問題でどういう態度をとるかは、国のイメージや外交に大きな影響を与えます」
――安部首相は就任後は、植民地と侵略の歴史を認めた「村山首相談話」や、従軍慰安婦への旧軍関与を認めた「河野官房長官談話」を受け継ぐと表明しています。
「大局的な判断に立ったもので、よかったと思います。公の地位についたときに何をするかが重要です。タカ派と思われた人が、対外関係を好転させたことは、ニクソン米大統領の米中和解、福田首相の日中平和友好条約の締結など多々あります。首相の判断は正しいし、今後もこの方向で外交に取り組まれると思っています」
(聞き手 論説委員・三浦俊章)

-End-

河野氏はまともなことを仰っている。「世代の問題ではなく…」の所等、よく言って下さったと思う。「事実に目をつぶり、『なかった』とうそを言うことは恥ずかしいこと」だと肝に銘じるべきです。又は、「そんな事実は無かった」と思い込む妄想に囚われてはいけません。彼のような「戦争の恐ろしさを体で知る最後の世代」がいなくなった時が危ない。戦争を身をもって体験していない世代でも、事実を直視し、真っ当な認識に立った政治家が少しでも増えることを願ってやみません。
ちなみに、『正論』(産経新聞社)は、「シナ側こそが侵略者」(兵頭二十八氏、05年8月号)、「村山談話は全くもって不必要だった」(安部首相のブレーン・八木秀次氏、06年11月号)等という主張を掲載しているらしい。もはや「正論」ではない。「妄想系」とでもタイトルを替えたらどうか。
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Sunday, 24 September 2006

神でも悪魔でもない

2006/08/08から2006/08/28まで朝日新聞夕刊に掲載された「ニッポン人脈記 − 戦争 未完の裁き」は非常に読み応えのあるシリーズでした。残留日本兵、BC級戦犯の親族、近衛文麿のひ孫、東条英機の孫、原爆の罪を問い続けた弁護士―。様々な立場の人々の思い、主張が書かれており、興味深かった。以下、特に心に残った記述を挙げておく。

「戦争に熱狂し、一番気合が入っていたのは、たとえば在郷軍人会や町内のおじさんたち。何かあるとすぐ『そんなことで勝てるか!』 『国賊!』でしたからね」
(作家、劇作家・井上ひさし氏  2006/08/14付 同シリーズ 5)

「A級戦犯を神にも、悪魔にもせず、人間としてとらえ直すことが、過去の清算と共通理解につながる」
(韓国の映像ドキュメンタリスト・鄭秀雄氏  2006/08/18付 同シリーズ 8)

昭和天皇の責任も問われなかった。木戸は巣鴨拘置所に入る前に天皇と食事し、「日本が平和国家として世界の一員に復帰するとき」、つまり講和のとき、退位することを勧めた。のちに木戸は「陛下は大元帥なんですから。憲法上、戦争の最後の責任者なんですから」と語っている。
(「木戸」は天皇の重臣でA級戦犯の内大臣・木戸幸一  2006/08/28付 同シリーズ 15)

「戦死といっても3分の1は餓死でした。日本軍は部隊に食糧を現地調達させた。中国では略奪し、南方では飢え、どんどん死んでいった。兵士の命をあれだけ粗末にしておいて、靖国神社に祀って、それが戦後の繁栄の礎になったなどという美辞麗句は歴史の事実を隠すものですよ」
(粟屋憲太郎・立教大学教授  2006/08/28付 同シリーズ 15)

-End-

A級戦犯も人間であって、苦悩もあったと思われる。戦争に向かっていった時代の波にあらがえなかった面もあるだろう。だから彼らを残虐な悪魔と考えるのも、又靖国で神として祀るのも間違っている。人間がやらかしたことだ。靖国に一度祀ると一体の神になるから分祀できない等という論理も所詮人間が決めたことであって、内輪でしか通用しない。
まだまだ未完の問題が山積だ。東京裁判が原爆を裁かなかったことが、中々核廃絶とならない今に繋がる。国連を無視して、イラク戦争を始めた傍若無人の米国。そして、東京裁判に関わらず、日本人は自らの手で戦争責任を追及し、考えることをやめてはいけない。記憶を葬った時が、新たな間違いの始まりであると考える。
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Sunday, 10 September 2006

安部人気、イメージ先行の軽さ

安部が、「自らの靖国神社参拝の有無を明らかにしない理由について『外交、政治問題に発展させようという、よこしまな人たちがいるのであれば、何も今宣言する必要はない』と発言」(09/05付朝日新聞朝刊)したそうだが、元々この件を政治問題にしたのは「8/15に靖国参拝する」ことを総裁選で公約した現首相の小泉であるから、安部のこの発言は全くの見当違いである。

以下、09/09付朝日新聞朝刊オピニオン面 「私の視点 ウイークエンド − 自民総裁選どう見る − 安部氏は歴史認識を語れ」(山口二郎・北海道大学教授・政治学) ウェブ上再録

安部氏が総裁選で圧勝する勢いだが、私には、なぜ安部氏の人気が高いのか、いまだによくわからない。対北朝鮮政策では、ある種の存在感を示したとはいえ、何しろ官房長官以外に閣僚経験がなく、政治家として評価する材料がない。
小泉首相が可愛がって後継者にしようとしていること、ポスト小泉好捕のなかでいちばん若いこと、そして岸信介元首相の孫、安部晋太郎元外相の息子という毛並みの良さ。そうしたことからくる、根拠の弱い、ふわっとした大衆人気のようなものがあって、それが自民党のなかに反映され、安部氏に乗っかるというなだれ現象が起きた。政治家自身が大衆化してしまったということなのだろう。
そして、なだれ現象の大きな要因となったのは、小選挙区制のもとで小泉首相が党内の中央集権化を進め、反主流派の居場所がなくなってしまったことだ。
加藤紘一・元幹事長の実家が放火された事件で自民党の反応が鈍かったのは、小泉、安部両氏がなかなかコメントを出さず、彼らが何を言うか、皆が様子見を決め込んでいたからだと聞く。基本政策を軸にして党を統合することが間違っているとは思わない。だが、権力者の顔色をうかがって、暴力による言論抑圧のような重大な問題にまで口をつぐむのでは民主主義の破壊だと言わざるを得ない。
政策面を見てみると、安部氏は教育改革に熱心だというが、著書「美しい国へ」を読んでも、「モラルの回復」といったたぐいの「お説教」ばかりが目立つ。いまの教育がかかえる一番の課題は格差だ。恵まれない家庭環境の子どもが大学に進学できる仕組みをつくることは、安部氏が重視する「再チャレンジ」の発想にもつながると思うのだが、そうした社会の仕組みづくりへの言及は乏しい。
そもそも、政治家が「美意識」を前面に掲げること自体に違和感を覚える。「美しくないもの」の排除につながり、ブレーキが利かなくなる危険をはらんでいる。
また、安部氏は戦後の民主主義は敗戦によってもたらされたことをどう考えるのか。安部氏の言う「戦後レジームからの脱却」と、民主主義の擁護は矛盾する。民主主義という価値は歴史認識と不可分であり、それは靖国参拝問題と直結する。安部氏はこの問題から逃げてはならない。
安部氏は外交面では小泉首相の国家主義的路線を基本的に継承し、経済政策など内政面では官僚依存を一層強めるだろう。自民党と民主党でかみ合った論争をすることを期待したいが、心配なのは、米国でキリスト教原理主義者・ネオコン(新保守主義者)と穏健リベラルの間で、対話不能なまでの分裂が生じているのと同様の状況が、日本の言論界にもみられることだ。
もともと保守的とされた人が歴史の現実を踏まえて論を立てても、聞く耳を持たない狂信的な人々がおり、まさにそうした人たちが安部氏のブレーン集団を形成しているのである。こうした分裂が政治にまで持ち込まれたら、説明抜きの小泉流にさらに輪をかけた不毛な対立に陥ってしまうに違いない。

-End-

私は山口氏のご意見に同意する。実際、朝日新聞の全国世論調査に於いても、安部の人気の理由は「人柄やイメージ」が44%と最多で、イメージ先行であることが分かる。軽い。
安部はコメントで「美しい国、日本」、「美しい日本」等と繰り返しており、キャッチフレーズにしたいようだが、非常にあいまい。大江氏じゃないが、正に「あいまいな国、日本」の典型だ。
又、安部は「歴史問題に関連して『(先の)戦争はどういう原因だったか。どういう相互作用があったのか。国策の決定とかかわりがあったのか。そういう問題については歴史家に任せるべきではないか』と語った」(09/08付朝日新聞朝刊)そうだ。首相を目指そうという人間が国の重要な歴史について明確な認識を語らないのは無責任ではないか。我が国が先の大戦に於いて国策を誤ったことは明白であり、「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」(95年の村山首相談話)ことを痛切に反省し、心からお詫びするのは真っ当な認識である。自虐史観ではない、現実的なだけである。
総裁選で優勢と言われる人間がこんなあいまいで、言葉を濁そうという姿勢では、先が思い遣られる。
posted by みのり at 20:02 | TrackBack(0) | 政治関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする